2011年1月20日木曜日

縁起の悪いおこない


、境内の掃除がてら焼却炉の裏を見ると、中身の詰まっていそうな紙袋が置かれていました。
持ち上げてみると結構重いのです。誰かが捨てていったようです。

開けてみると、
お正月の鏡餅がいくつも入れられていました。しっかりカビだらけ;

食べもしない餅ならば飾らなければいいのに、と思うのです。今どきなら保存のきく切り餅入りのパックや、あるいは絹などで作った見た目にも美しいお鏡型の工芸作品もあります。

また、こういう鏡餅やしめ縄などを(お焚きあげを申し込むのではなく)寺や神社に捨てるのなら、どういうつもりでそれらを飾るのかな、と考えてしまいます。
家や生活を守ってもらい、年神様を呼び込もうとする大事な縁起物なら、そのお焚きあげだってしかるべき扱いをしてもらおうとするはずでしょうし、
そんなものは関係ない、季節の装飾に過ぎない。そう考えるのならそれは自分の手で分別して捨てればいいのです。

自分で始末するのはコワいような気がするけど、ちゃんと寺社に焚きあげを依頼する気はない。そこで寺社の境内や焼却炉に投棄しにいく。それでなにか安心出来る処分なりをしたつもりになる。

もし、こういった中途半端な気分でこうしたのなら、それはすごく縁起の悪いことですね。しかも自覚が無いだけにこわい。

「縁起」とは物事の原因と結果の連鎖を意味します。
普段どのように考え、どのように行動するかが、その後の幸せor不幸せのスパイラルを導いていくのです。

要らないものの処分を押し付けられた些かの不愉快よりも、ちょっと色々な事を想像してしまった朝でした。