2011年3月28日月曜日

有り難し


窓から外を見やる。

「当り前」の生活はぎりぎりの僥倖の上になりたっていた。

だから、ほんとうは当り前ではない。

ものすごい当選確率の中で「有ること難き」幸運を射止めている「わたし」たち。

「ありがとう」は、単に「ユーに感謝」というのみならず、得がたきものをたまたま自分に与えてくれた諸々の繋がりを自覚する言葉でもある。

2011年3月21日月曜日

ぎっくり腰。。

午前中、となりの西方院さんで法要を終え、床で衣を畳んで片膝立ちの状態から立ち上がろうとしたら、
「びびん!」
と腰に衝撃が走ったので、すぐさま力を緩めて手をつきました。
25才くらいの時に一度ぎっくり腰をやって以来、それからは腰がぐんにょり痛みを覚えることはあっても、これほどはっきりした痛みが出たのは久々です。
まだ痛みを感じてすぐ力を解いたからよかったものの、もしそのまま動作を続けていたらえらいことになっていたかと思います。なので本当のぎっくり腰?の6割くらいの痛みでしょうか、小さい歩幅でちょぼちょぼ歩いて、車に乗り、次の法要に向かったのでありました。法要前の法話も椅子に座ってしました。

本当なら、夕方5時半から金山で愛知県宗教青年会議の僧侶・神官が集まっての震災義捐金募金に参加するつもりだったのですが、申し訳ないながら欠席させていただくことにしました。


追記:本日(23日)早朝あまりの痛さに寝返りも打てず、動くたびに声が出そうになる痛みに耐えながら30分くらいかけてやっと立ち上がり手洗に行けば、もう寝起きのあの激しい辛さを想像すると横になることも出来ず、痛みに耐えつつも立つか腰掛けるかして明るくなるのをひたすら待ち、嫁さんに車で病院に送ってもらいました。診察と処置を受けて少し楽になりましたが、気長に治していくほかないようです。

2011年3月17日木曜日

義捐金募金をしてきました(真言宗智山派・東海智山青年会)

今日(H23/03/17)は冷たい風が吹いていましたが、被災者の方々はもっと遥かに冷たいところで震えていることでしょう。

本日、真言宗智山派・東海教区の青年会のメンバーで、大須観音さん本堂前で東日本大震災被災地への義捐金を募りました。
募金活動をして、あちこちで同様の活動が行われている昨今でも、老若男女、本当にたくさんの方々が募金の呼びかけに応じて下さいました。皆さんがこの東北の地の災難において助け合うことに深く関心を持っているのだろうなあと感じました。

おかげをもちまして387,315円のお志を募る事が出来ました。ありがとうございました。皆様のお気持ちは社会福祉法人中日新聞社会事業団を通してお届けさせていただきます。

他にも愛知県宗教者青年会議(仏教各宗・神道)でも募金活動を予定しています。また、私の所属しております、公益社団法人名古屋青年会議所(名古屋JC)でも23日まで伏見など各所で募金活動を行ったり会員から救援物資を募ったりしています。
その上部団体の日本青年会議所(日本JC)では二日間で既に仕分けされた80tの救援物資を集めたりなど、各方面でそれぞれの組織や持ち味を生かした活動をしております。

ものすごい犠牲が出たというその事態にあって、幸いにして今生きている人びと一人ひとりが持っている善をさらに発揮させていくことができますように。

2011年3月14日月曜日

次はお前だ

上記タイトル、古代ローマの墓碑銘にこういうのがあるのだそうです。(池田晶子『人間自身』最期のエセーで読みました)

言い換えれば「人ごとではない」、「明日は我が身」。

「わたし」たちの人生は等しく不測の事態に満ちている。
あそこで起こっている災害は、場所と身体は違えども「わたし」の出来事なのです。

できる事をしよう。
生きるという事についてよく考えよう。

2011年3月13日日曜日

大震災

伝えられることの数々に泣けてきそうな気持ちにおそわれます。
自分にできる事は本当に大したものではないですが、
一日も早く善い方向に向かわれることを祈るばかりです。