2011年5月21日土曜日

5/19のホーキング博士の記事について

5/19のホーキング博士の記事については、結局煽動的な見出しと「要約」にしてやられてしまった。横着をして原文に当らなかったことで、編集者の掘った落とし穴にまんまとはまったということだった。
これは友人が指摘してくれたのだけど、原文はここ

あくまで徹底的に物理の目で宇宙をとらえた博士のことば。
かえって読み手はなおも残る底なしの謎を浮き彫りにすることになるが、それを見つめるのは科学でもなければ妄信でもない。

2011年5月20日金曜日

金澤攝さんに会った。

昼食をとり終えてから、本堂の受付から呼び出しがあり、行ってみると作曲家・ピアニストの金澤攝さんがいらっしゃっていました。もう五年ほどお目にかかっていないので懐かしかったです。
お参りをされてから短い間でしたが、お話を聞く事が出来ました。
金澤さんは19世紀を主とする現代では忘れられてしまった優れた作曲家の作品を「発掘」し、その演奏などを通して人びとに知らしめ、それらを通覧出来るようにまとめていくという途方もない仕事に取り組んでいます。

その数300人、10,000曲。

それがただの名前の羅列ではなく、音楽家一人ひとりさえもが自覚しえなかった当時の時代の音楽の気分というものを浮き彫りにするような巨大な「星図」が現れることでしょう。その日が待ち遠しいです。
金澤さんはずっと仕事に取り組み続けていて、この度は休養を取られた中でのご参拝だったようです。

名古屋での活動はしばらくされていませんが、また演奏を聴けたらと思いました。

2011年5月19日木曜日

ホーキング博士はヤキが回ったのか、あるいは彼の名誉のために言い替えるならば何らかの圧力でもあったのか。

(5/21:この記事は下記に引用した要約が不正確だったため、後日追記します。)
これは、ホーキング博士の物理学での仕事に言及するものではない。
以下の要約記事が大意を誤っていないのなら、博士は一体どうしてしまったのだろう。どういうわけでものの分からなさが分からないようになってしまったのか。

(YAHOOニュース)ホーキング博士は「(人間の)脳について、部品が壊れた際に機能を止めるコンピューターと見なしている」とし、「壊れたコンピューターにとって天国も死後の世界もない。それらは闇を恐れる人のおとぎ話だ」と述べた。

(ロイター)重力などの法則があるため、宇宙は無から自らを創造できると指摘。「宇宙を創造させるのに神を呼ぶ必要はない」と付け加えた。

言葉尻を捕まえて揚げ足取りをするレヴェルの話ではなく、論理的に破綻しているので、この記事を読んで違和感を持った人はそれなりにいるのではないか。

・かりに、壊れたコンピュータ=死者の脳、であるとしよう(実際はそんなこと言い切れるのか、を置いておく)。それら他者の「死後」を(おそらく観察出来ないからという程度の理由で)「無い」とどうして言い切れるのか。さなくばまさか「自ら」「死」を「体験」した上でカタったのか。
・「無」は無である。無い、のである。その「無」が「自らを」「創造」するならば、もはやそれは無ではあるまいて。
・「法則」は「有」である。それは無ではない。そしてその「法則」を有らしめるものについて「有」を「無」とカタれるものならカタってみよ。

決して科学を否定しないし、「死後の世界」とやらがあると言っているのではない。
観察と検証を繰り返し、ある仮定がそのプロセスにおいて食い違いを生じない時にそれを「法則」として認めるという、まさに科学的態度で臨むのなら、そのプロセスが実行出来ない事柄については断定を避けるのが科学者なら真っ当というものであろう。

神や仏という宗教の語を使いたくなければ「謎」と呼べばよいのである。
謎は解明されるものもそうでないものもあろう。それを説明出来ないからと言って「ない」と言いきるのはおこがましいというものだ。

謎を認めるのは「闇を恐れ」ているからではない。
ホーキング博士、あなたこそ「謎」を、「不知」をもしや恐れているのではないか。
宇宙は広く、私たちは謎を生きているのだよ。

あなたがそう発言したという報せが間違いだと信じたい。