五年前の愛知万博には一度しか行っていません。
かつて会場であったモリコロパーク(愛・地球博記念公園・旧青少年公園)を訪れたのはその万博入場いらいです。ざっと散歩しましたが、平日ということもあり、「サツキとメイの家」や子供達が遊ぶ広場などなどを除いては閑散としており、最後に寄った万博記念館では自分達しか入場者はいませんでした。しかしその展示を観るにつけ、五年前のあの記憶が蘇り、またそれが既に無いものである事を噛み締めました。
パビリオンも様々な設備も今は無いけれども、それに関わった人々の思いというものが各人の中に刻まれているだろう事を想像しながら展示に見入ります。
人ごみは苦手です。が、色々な国や人がこう見せたいと思い、設えた表現をもっと観ておけば良かったな、とちょっぴり残念に思ったのです。
万博に限らず、腹黒い政治的な思惑とは異なるレイヤーで、ナショナルなものを蓄えた人びとが接する事でインタナショナルな繋がりができる。互いの敬意と平和への希求、賢さへの探求。国際交流のあるべきありさまは、そういったところなのだろうか、、などと、コスモス畑や広場で遊ぶ沢山の子供たちを見ながら、そんな事を考えて歩いたのでした。
2010年10月20日水曜日
2010年10月19日火曜日
立場のちがい
最近望ましくない展開で事が進んでしまった。これは今に始まった事ではない。
双方で合意がなされないまま年月が過ぎて出来た、意見のギャップというものが現時点に確かにある。
合意をはかる機会を持ちたいと私たちは常々思っている。この長い歴史のモヤモヤをどこかで断ち切りたいし、それは可能だと確信している。
ただ、その機会をまだ持てていないので、たがいにそれぞれの立場を語る他はないのもまた事実だ。これは好ましくない面もある。
しかし、その中で、少しずつ変化も起こっていて、その行方を見守りながら、私たちもより良い表現を探っている。
双方で合意がなされないまま年月が過ぎて出来た、意見のギャップというものが現時点に確かにある。
合意をはかる機会を持ちたいと私たちは常々思っている。この長い歴史のモヤモヤをどこかで断ち切りたいし、それは可能だと確信している。
ただ、その機会をまだ持てていないので、たがいにそれぞれの立場を語る他はないのもまた事実だ。これは好ましくない面もある。
しかし、その中で、少しずつ変化も起こっていて、その行方を見守りながら、私たちもより良い表現を探っている。
2010年10月11日月曜日
壊された井戸のポンプ
先月、地元の有志の方々が協力して境内に井戸を掘り、その水を毎日12時間、電動ポンプで汲み上げて池に給水を続けておりました。自然の雨と合わせてだいぶ水位が上がってきていたし、水も澄み始めてきました。
今朝、お参りの方が知らせてくれて、現場に駆けつけるとポンプの水の出るところに繋がれていたパイプが根元から折られ、そこから水が出続けて周りはビタビタになっていました。
敬虔にお参りする人や、奉仕で掃除をしたりする人がいるかたわらで、ごく少数ではありますが、ものを壊す人、賽銭や寺の什物を盗む人、飲み食いしてそのゴミを捨てて行く人などがいます。さらに野良猫のフン、食い散らかした餌や放置されたそのゴミ・・
当山は参拝のために24時間出入り自由な寺です。ですがわざわざ寺の土地に入ってきてこういう事をする人がいるのは悲しいことです。
世情が悪くなって、人心が荒みやすい時代だとしても、自分を幸せに生かしていくのは他ならぬ自分でしかないのですが、、
溜息が出ます。
(追記14:29)当該箇所は、本日修理していただきました。
今朝、お参りの方が知らせてくれて、現場に駆けつけるとポンプの水の出るところに繋がれていたパイプが根元から折られ、そこから水が出続けて周りはビタビタになっていました。
敬虔にお参りする人や、奉仕で掃除をしたりする人がいるかたわらで、ごく少数ではありますが、ものを壊す人、賽銭や寺の什物を盗む人、飲み食いしてそのゴミを捨てて行く人などがいます。さらに野良猫のフン、食い散らかした餌や放置されたそのゴミ・・
当山は参拝のために24時間出入り自由な寺です。ですがわざわざ寺の土地に入ってきてこういう事をする人がいるのは悲しいことです。
世情が悪くなって、人心が荒みやすい時代だとしても、自分を幸せに生かしていくのは他ならぬ自分でしかないのですが、、
溜息が出ます。
(追記14:29)当該箇所は、本日修理していただきました。
2010年8月30日月曜日
ヘウレーカ!〜アムランのなぞなぞ
二週間ほど前に手に入れたこのアムラン作曲「短調による12のエチュード」のCDにはコンポーザー=ピアニストのマルカンドレ・アムランMarc-André Hamelin氏が25年の歳月の中でコツコツ作曲してきた、12曲のエチュードと他の数曲が本人の演奏で収録されています。
これらの彼の曲は、コアなクラシック系ピアノ好きの耳には非常に魅惑的な色彩感が独特で、かつ演奏が世にも難しいものが多くを占めます。
さてこの12曲のエチュ−ドはショパンのエチュードを3つ合体させたり、リストやロッシーニの作品を編曲したりと、過去の名人達の作法を現代によみがえらせたような色々な仕掛けがありますが、その中の第5番「グロテスクなトッカータToccata grottesca」はある過去の作曲家の曲を元にしているけれども、その原曲は秘密、聴いた人が当ててね!という茶目っ気たっぷりのアムランからのなぞなぞでもあります。
ずっと分からなかったのです。
ところが今朝、ぼーっとiPhoneの小さなスピーカから流れてくるこの曲を聴いていて「このテクニックはあの曲(←答えとは違う曲)に似てるな・・、この曲の入ったあのアルバムにあの曲も入っていたな・・あっ!あの曲だ、そうだそうだ、まるで違う雰囲気になっているけれどもこれはあの曲が原曲だ!!」
と分かってしまい、笑いが止まりませんでした。
「ヘウレーカ!(見つけたぞ!)」
さすがにアルキメデス先生みたいに裸で駆け出したりはしませんでしたが(笑)
いや、なんというかピアノ好きのネタなのですが、憑き物が落ちてすっきりした嬉しさに、つい日記の投稿をしてしまいました、とそういう浮かれたネタなのです。
これらの彼の曲は、コアなクラシック系ピアノ好きの耳には非常に魅惑的な色彩感が独特で、かつ演奏が世にも難しいものが多くを占めます。
さてこの12曲のエチュ−ドはショパンのエチュードを3つ合体させたり、リストやロッシーニの作品を編曲したりと、過去の名人達の作法を現代によみがえらせたような色々な仕掛けがありますが、その中の第5番「グロテスクなトッカータToccata grottesca」はある過去の作曲家の曲を元にしているけれども、その原曲は秘密、聴いた人が当ててね!という茶目っ気たっぷりのアムランからのなぞなぞでもあります。
ずっと分からなかったのです。
ところが今朝、ぼーっとiPhoneの小さなスピーカから流れてくるこの曲を聴いていて「このテクニックはあの曲(←答えとは違う曲)に似てるな・・、この曲の入ったあのアルバムにあの曲も入っていたな・・あっ!あの曲だ、そうだそうだ、まるで違う雰囲気になっているけれどもこれはあの曲が原曲だ!!」
と分かってしまい、笑いが止まりませんでした。
「ヘウレーカ!(見つけたぞ!)」
さすがにアルキメデス先生みたいに裸で駆け出したりはしませんでしたが(笑)
いや、なんというかピアノ好きのネタなのですが、憑き物が落ちてすっきりした嬉しさに、つい日記の投稿をしてしまいました、とそういう浮かれたネタなのです。
2010年8月25日水曜日
豊田市美術館に森村泰昌展を観た
休みをとったので車を出し、名古屋市博物館にポンペイ展を観に行こうと思ったのですが、駐車場の空きを待つ車が二つの信号を跨いで並んでいるのを見て断念。まずは御器所のリーズナブルな中華料理屋「盛華」で昼食をとることにしました。
台湾ラーメン+四川飯で780円のランチを頼んだら、どちらも単品と遜色ないフルサイズで運ばれてきてびっくりしました。家内の注文した本日のランチ(700円)も中々のボリューム。ほんとは単品も色々試してみたい気持ちはあるのですが、一人や二人では恐らく食べきれないものになるでしょうから慎重に考えねばなりますまい。
食事を終えて豊田市美術館に行きました。森村泰昌『なにものかへのレクイエム』展を見るためです。
美術家の森村氏が歴史的な人物や女優に扮して写真を撮った大型のプリントが並んでいて、まず写真プリントとしての力が凄い。特にピカソや三島、ヒトラーなどの歴史上の男達になりきって渾身の表情を4x5で撮った(と思われる)写真一枚一枚が非常な圧力を持って目の前に立ちはだかります。
これらの作品は私の肚の底に手を突っ込んで色々な思いを立ち上がらせます。「すでにある作品を一から創造し直すところに生まれるものは何か。」「これは誰の作品か。森村氏のものか、シャッターを押した人のものか、モデルとなった人物のものか。」「これらの作品は、<私>とはいつの世の誰でもあり得るという事を再認識させてくれるのか。」など、いろいろな考えがぐるぐる回り始めると頭を離れず、息を呑んで見入ってしまいました。
「なにものか」とは<誰>なのか?!
台湾ラーメン+四川飯で780円のランチを頼んだら、どちらも単品と遜色ないフルサイズで運ばれてきてびっくりしました。家内の注文した本日のランチ(700円)も中々のボリューム。ほんとは単品も色々試してみたい気持ちはあるのですが、一人や二人では恐らく食べきれないものになるでしょうから慎重に考えねばなりますまい。
食事を終えて豊田市美術館に行きました。森村泰昌『なにものかへのレクイエム』展を見るためです。
美術家の森村氏が歴史的な人物や女優に扮して写真を撮った大型のプリントが並んでいて、まず写真プリントとしての力が凄い。特にピカソや三島、ヒトラーなどの歴史上の男達になりきって渾身の表情を4x5で撮った(と思われる)写真一枚一枚が非常な圧力を持って目の前に立ちはだかります。
これらの作品は私の肚の底に手を突っ込んで色々な思いを立ち上がらせます。「すでにある作品を一から創造し直すところに生まれるものは何か。」「これは誰の作品か。森村氏のものか、シャッターを押した人のものか、モデルとなった人物のものか。」「これらの作品は、<私>とはいつの世の誰でもあり得るという事を再認識させてくれるのか。」など、いろいろな考えがぐるぐる回り始めると頭を離れず、息を呑んで見入ってしまいました。
「なにものか」とは<誰>なのか?!
2010年8月12日木曜日
ポートレイト
十年余り前から始めた写真は、ずっとポートレイト、特に美しい女性を撮りたくて今に至っています。
言うまでもなくポートレイトはモデルが居なくては始まらず、またその獲得が一番難儀なところでもあります。
それも色々な道筋があるのですが、自分はプロのモデルを他のカメラマンと同時に撮っていく所謂モデル撮影会に参加した事はないし、これからもそういう場に行く事はないでしょう。
わたしは友人知人や、個人的な関わりで知り合った人にモデルをお願いします。なので断られたり、都合がなかなか合わなかったりで、実際に差し向かいで撮影できる機会は本当に少ないです。それでも自分は相手に敬意を持って向き合って撮りたいと思うところから、昔も今もこういうやり方を変える事が出来ないでいます。
言うまでもなくポートレイトはモデルが居なくては始まらず、またその獲得が一番難儀なところでもあります。
それも色々な道筋があるのですが、自分はプロのモデルを他のカメラマンと同時に撮っていく所謂モデル撮影会に参加した事はないし、これからもそういう場に行く事はないでしょう。
わたしは友人知人や、個人的な関わりで知り合った人にモデルをお願いします。なので断られたり、都合がなかなか合わなかったりで、実際に差し向かいで撮影できる機会は本当に少ないです。それでも自分は相手に敬意を持って向き合って撮りたいと思うところから、昔も今もこういうやり方を変える事が出来ないでいます。
2007年1月1日月曜日
blog移転してきました。(H23/03/21)
今まで利用していたexblog無料板の記事に広告が入り、それがfacebookにインポートされると私の記事としてアップされるので、exblogでの投稿を終了し、今後(2010/03/23〜)の記事はこちらにアップロードして参りますので、よろしくお願いいたします。
過去の記事はこちらからご覧頂けます(新しい記事は重複もあります)
旧ブログ→http://kasadera.exblog.jp/
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