2011年7月10日日曜日

もったいない子供たち

暑い昼下がりから境内に中学生くらいの子供たちのグループが、飲んだり食ったりしながらたむろしている。夏休みか?いやまだか、土日なのだな。

彼らは去年くらいからしばしば見るから、おそらく近くに住んでいるのだろう。いつも飲み食いしたゴミやらなんやらを、そこら辺にたくさん散らかしたままにして去って行くので、何度か「自分で飲み食いしたものは持ち帰ってーや」と言ったことがある。
しかし大人に反発したい背伸びな年頃と集団心理からくる安心感、そして普通の大人が危害を加えない前提を承知しているのだろう、わざとえらそうな態度で「あぁ!」とか「あいよ!」と返してくる子もいる。しかし結局そんな自分の返事さえ履行することができず、だらしなくゴミは捨てられたまま。今日は他の人と挨拶をかわす私の姿を見て「・・よぶんなシボウのせいであついんだわ!」と嗤っていたのが聞こえた。脂肪が多いのは事実だが暑いのは別だ。まあ仕方ない。

内容にかかわらず大人の「指図」の内容に沿ったら「負け」と思っているのか。あるいは仲間うちの中にあって自分ひとりが虚勢を張るのをやめる訳にもいかない、といった心理もあるのかもしれぬ。ならば言葉は通じまい。言葉が通じないのなら注意は無意味だ、アホらしいということでやめた方がいいのか?

後始末ができない彼らのゴミを片付けるのは端的に鬱陶しいとは思うが、大人にだって彼らと同じように飲み食いし散らかしたり、野良ネコに餌をやりに来たりハトに残飯をまき散らしたり、家庭からゴミを捨てにくるような人間がいるのをこの境内で見てきている。そして注意されればやはり逆ギレするヒトもいるのだ。ついこんな意味のことを口にしてしまう。
「ここはあなたのウチなのか?よその域内に入って何をしているんだ?」

・・と結局大人でもひどいていたらくは時々あるし、自分とていいかげんな所は沢山あるが、彼らのような子供たちを見るにつけ可哀想だな、というか残念な気分になる。

彼らが反発するその大人が作った法律やシステムやカネでぬくぬくと保護されながら、同時に身近な大人に良き教育を与えられず、アホをやらされている内に、中にはそのままつまらない生きざまを続けるしかない子が出てくるかもしれない、ということがほんとうに気の毒でもったいないと感じるのだ。

気の毒、とは言ったが、それでも自分のケツは自分で拭くしかない。人が育つ環境には常に不備が付きものだが、だからといってくだらない大人になってしまえばその責任はその本人が引き受ける他はないのである。
私は他人のゴミを掃除するのがイヤではないとは到底いえないが、自分の人生自体をまるまる汚物にする方がはるかにずっとイヤだ。

私はあのようにしか振る舞えない彼らに通じる上手い手段を持ち合わせていない。もういくばくかの月日を重ねるうちに彼らが自ら気付ける日が来ることを待とうと思う。

おまえ、ボーズがなんとかしろよ!って誹りを受けそうだけど、ごめんオレ修行がまだまだ足りなくて、そこまでなんとか出来るほどにジョーズじゃないことを思い知らされているのよ。ふん。