2010年12月13日月曜日

笠寺の歴史を描いた壁画ができました。

笠寺観音の西門に続く笠寺商店街の四か所に壁画が出来上がりました。

これは笠寺観音商店街や、かんでら門前亭の皆様が発案し、6名のアーティストの方が一ヶ月以上掛けてまとめた図案を元に、半月余りをかけてこつこつと制作してきました。

内容は1300年前の笠寺観音の起こりに始まって、観音さまが兼平公・玉照姫ご夫妻の縁を結び、地名ともなったこの笠寺のまちの人々に受け繋がれた縁がこれからも紡がれていく、といった流れで、町や商店街を彩り、かつ当山の歴史をヴィジュアルに紹介して下さったというもので、お寺としても嬉しい企画が実現となりました。関係の皆様は大変に苦労されたと思いますが、それだけに素晴らしい作品になりました。
壁画は、ナイトウ時計店(お寺の起こり)→旧ユニーシャッター(兼平公・玉照姫が観音さまに縁を結ばれる)→笠寺郵便局(ご夫妻はその縁に感謝し寺を再建。笠寺の名をつける)→その向かいの壁面(結ばれたご縁は街の人々に引き継がれ、それを未来に繋いでいく)という順番に描かれ、それぞれが描き手によってタッチ、テクスチュア、画面構成など、味わいが異なるというのも楽しいです。

昨日は完成式典ということで、街の関係者の方々やテレビ局の方が集まり、皆さんの手形を壁面につけて(もちろん私も!)壁画の完成となりました。

当山にご参拝でお時間のある時は、一度商店街を名鉄の線路の方から歩いて壁画を見て歩きながらお寺の門をくぐってみられてはいかがでしょうか。

2010年12月2日木曜日

最近買ったCD(坂本龍一+大貫妙子とソラブジ)

17-8年ほど前、学生の時に友人に教えてもらった作曲家の中にSorabjiソラブジというべらぼうな曲をいっぱい書いている人がいます。
とにかく響きが複雑に折り重なって分厚くそれが独特の湿度と香りを感じさせる作風で、演奏は大抵極めて難しくピアノソロなのに6段譜になっていたりするものもある上に、A3で200とか300ページを費やす作品も珍しくなく、その演奏時間も4時間とか7時間とかかかってしまう。まあ濃密な感触を好むピアノ通向けの作曲家であります。

このたびはそのソラブジが書いた「100の超絶技巧練習曲」という400ページ・演奏7時間という代物の第3弾で44-62番が収まっているCDです。多少クラシックのピアノに触っている人なら超絶・・ときいてリストの12曲の練習曲を思い浮かべるかも知れませんが、この「100の・・」はリストのそれにしばしば見られるような物語性はほとんど無く、和音、多声、音階、アルペジオ・・といったさまざまな技法をつかってソラブジの音世界を顕す、標本群のような、あるいは織物見本のような曲集です。しかし、無味で機械的な練習曲群かというとそれも見当違いで、一曲一曲の響きにはそれぞれ色彩感や芳香に満ちた音の手触りがあり、聴くうちにその音の湯の中にずぶずぶ浸ってしまいます。
演奏も見事な切れ味の良いもので、聴覚を通してすぱすぱと色や匂いの世界を切り開いてくれます。
うーん、続編が楽しみですが、完結するのはあとCD3-4枚を費やす筈で(番号が増えるほど演奏時間が長くなる傾向があるため)気長に待つことにします。

もう一枚は坂本龍一のピアノで大貫妙子が歌うという、その名も「UTAU」。
大貫さんの歌はちょくちょく聴いていたのですが、1990年を過ぎたあたりからの作品は、高めの音で地の声から鼻に抜けて裏声に移る歌い方が多く、その際に「べろべろっ」とぬめるような質感があって余り好きにはなれず、聴くのはもっぱらその頃までの作品ばかりでした。(えらそうで済みません)
そういうわけで、このCDが出たときも「ふう〜ん」くらいに思っていたのです。ところが後日ネットサーフしていてたまたまどんなものか試聴してみたところ,,鳴り出して数秒で息を飲み、続いてもう何曲か試聴してそれから1分後には注文してしまいました。
古い録音の素の声でもなく、近年のべろんとした鼻の声でもなく、じつに手触りに富んだ力のある歌が聴こえる。伴奏のピアノも絶妙なニュアンスが素晴らしい。
二人の才能が互いに磨きあって新しい地平を見いだした、そんな感じがします。

このCDのジャケがそうであるように、シンプルでモノクロームな質感の曲が収められています。しかしこのモノクロームは「墨に五彩あり」の言葉通りの能弁さを感じます。

これらに限らず、素晴らしい器楽奏者、歌い手、、好みの演奏に出会えるたび、いつも「音楽はすごいな〜」としみじみ思います。

音楽が好きでほんとうに良かった!

2010年10月20日水曜日

モリコロパークに行ってきた。

五年前の愛知万博には一度しか行っていません。

かつて会場であったモリコロパーク(愛・地球博記念公園・旧青少年公園)を訪れたのはその万博入場いらいです。ざっと散歩しましたが、平日ということもあり、「サツキとメイの家」や子供達が遊ぶ広場などなどを除いては閑散としており、最後に寄った万博記念館では自分達しか入場者はいませんでした。しかしその展示を観るにつけ、五年前のあの記憶が蘇り、またそれが既に無いものである事を噛み締めました。
パビリオンも様々な設備も今は無いけれども、それに関わった人々の思いというものが各人の中に刻まれているだろう事を想像しながら展示に見入ります。

人ごみは苦手です。が、色々な国や人がこう見せたいと思い、設えた表現をもっと観ておけば良かったな、とちょっぴり残念に思ったのです。

万博に限らず、腹黒い政治的な思惑とは異なるレイヤーで、ナショナルなものを蓄えた人びとが接する事でインタナショナルな繋がりができる。互いの敬意と平和への希求、賢さへの探求。国際交流のあるべきありさまは、そういったところなのだろうか、、などと、コスモス畑や広場で遊ぶ沢山の子供たちを見ながら、そんな事を考えて歩いたのでした。

2010年10月19日火曜日

立場のちがい

最近望ましくない展開で事が進んでしまった。これは今に始まった事ではない。

双方で合意がなされないまま年月が過ぎて出来た、意見のギャップというものが現時点に確かにある。
合意をはかる機会を持ちたいと私たちは常々思っている。この長い歴史のモヤモヤをどこかで断ち切りたいし、それは可能だと確信している。

ただ、その機会をまだ持てていないので、たがいにそれぞれの立場を語る他はないのもまた事実だ。これは好ましくない面もある。

しかし、その中で、少しずつ変化も起こっていて、その行方を見守りながら、私たちもより良い表現を探っている。

2010年10月11日月曜日

壊された井戸のポンプ

先月、地元の有志の方々が協力して境内に井戸を掘り、その水を毎日12時間、電動ポンプで汲み上げて池に給水を続けておりました。自然の雨と合わせてだいぶ水位が上がってきていたし、水も澄み始めてきました。

今朝、お参りの方が知らせてくれて、現場に駆けつけるとポンプの水の出るところに繋がれていたパイプが根元から折られ、そこから水が出続けて周りはビタビタになっていました。

敬虔にお参りする人や、奉仕で掃除をしたりする人がいるかたわらで、ごく少数ではありますが、ものを壊す人、賽銭や寺の什物を盗む人、飲み食いしてそのゴミを捨てて行く人などがいます。さらに野良猫のフン、食い散らかした餌や放置されたそのゴミ・・
当山は参拝のために24時間出入り自由な寺です。ですがわざわざ寺の土地に入ってきてこういう事をする人がいるのは悲しいことです。

世情が悪くなって、人心が荒みやすい時代だとしても、自分を幸せに生かしていくのは他ならぬ自分でしかないのですが、、
溜息が出ます。

(追記14:29)当該箇所は、本日修理していただきました。

2010年8月30日月曜日

ヘウレーカ!〜アムランのなぞなぞ

二週間ほど前に手に入れたこのアムラン作曲「短調による12のエチュード」のCDにはコンポーザー=ピアニストのマルカンドレ・アムランMarc-André Hamelin氏が25年の歳月の中でコツコツ作曲してきた、12曲のエチュードと他の数曲が本人の演奏で収録されています。

これらの彼の曲は、コアなクラシック系ピアノ好きの耳には非常に魅惑的な色彩感が独特で、かつ演奏が世にも難しいものが多くを占めます。

さてこの12曲のエチュ−ドはショパンのエチュードを3つ合体させたり、リストやロッシーニの作品を編曲したりと、過去の名人達の作法を現代によみがえらせたような色々な仕掛けがありますが、その中の第5番「グロテスクなトッカータToccata grottesca」はある過去の作曲家の曲を元にしているけれども、その原曲は秘密、聴いた人が当ててね!という茶目っ気たっぷりのアムランからのなぞなぞでもあります。

ずっと分からなかったのです。
ところが今朝、ぼーっとiPhoneの小さなスピーカから流れてくるこの曲を聴いていて「このテクニックはあの曲(←答えとは違う曲)に似てるな・・、この曲の入ったあのアルバムにあの曲も入っていたな・・あっ!あの曲だ、そうだそうだ、まるで違う雰囲気になっているけれどもこれはあの曲が原曲だ!!」
と分かってしまい、笑いが止まりませんでした。

「ヘウレーカ!(見つけたぞ!)」

さすがにアルキメデス先生みたいに裸で駆け出したりはしませんでしたが(笑)

いや、なんというかピアノ好きのネタなのですが、憑き物が落ちてすっきりした嬉しさに、つい日記の投稿をしてしまいました、とそういう浮かれたネタなのです。

2010年8月25日水曜日

豊田市美術館に森村泰昌展を観た

休みをとったので車を出し、名古屋市博物館にポンペイ展を観に行こうと思ったのですが、駐車場の空きを待つ車が二つの信号を跨いで並んでいるのを見て断念。まずは御器所のリーズナブルな中華料理屋「盛華」で昼食をとることにしました。
台湾ラーメン+四川飯で780円のランチを頼んだら、どちらも単品と遜色ないフルサイズで運ばれてきてびっくりしました。家内の注文した本日のランチ(700円)も中々のボリューム。ほんとは単品も色々試してみたい気持ちはあるのですが、一人や二人では恐らく食べきれないものになるでしょうから慎重に考えねばなりますまい。

食事を終えて豊田市美術館に行きました。森村泰昌『なにものかへのレクイエム』展を見るためです。

美術家の森村氏が歴史的な人物や女優に扮して写真を撮った大型のプリントが並んでいて、まず写真プリントとしての力が凄い。特にピカソや三島、ヒトラーなどの歴史上の男達になりきって渾身の表情を4x5で撮った(と思われる)写真一枚一枚が非常な圧力を持って目の前に立ちはだかります。

これらの作品は私の肚の底に手を突っ込んで色々な思いを立ち上がらせます。「すでにある作品を一から創造し直すところに生まれるものは何か。」「これは誰の作品か。森村氏のものか、シャッターを押した人のものか、モデルとなった人物のものか。」「これらの作品は、<私>とはいつの世の誰でもあり得るという事を再認識させてくれるのか。」など、いろいろな考えがぐるぐる回り始めると頭を離れず、息を呑んで見入ってしまいました。

「なにものか」とは<誰>なのか?!

2010年8月12日木曜日

ポートレイト

十年余り前から始めた写真は、ずっとポートレイト、特に美しい女性を撮りたくて今に至っています。

言うまでもなくポートレイトはモデルが居なくては始まらず、またその獲得が一番難儀なところでもあります。
それも色々な道筋があるのですが、自分はプロのモデルを他のカメラマンと同時に撮っていく所謂モデル撮影会に参加した事はないし、これからもそういう場に行く事はないでしょう。

わたしは友人知人や、個人的な関わりで知り合った人にモデルをお願いします。なので断られたり、都合がなかなか合わなかったりで、実際に差し向かいで撮影できる機会は本当に少ないです。それでも自分は相手に敬意を持って向き合って撮りたいと思うところから、昔も今もこういうやり方を変える事が出来ないでいます。